八尾高剣道部の歴史
明治28年(1895年)5月、大阪府第三尋常中学校 開設
明治29年には剣術の担当教員配当され、課外授業開始
明治40年代の柔、剣道部員の写真①(100年誌より)

明治40年(1907年)の大運動会 柔、剣術も種目の中に入っていた。写真②(100年誌より)

大正から昭和の初め頃は 河合領助、惣津信蔵の二人の先生が嘱託として指導
昭和11年に三瀬武文先生 着任。剣道は正課として、成績表に記入された。
昭和11年5月11日、京都武徳会本部武徳祭試合に三瀬教諭出場、錬士号受験の結果、合格(剣道部日誌より)
昭和14年斎藤民雄先生 着任。竹村和也先輩(中40期)も指導に来ていた。
当時は戦争中で剣道大会は沢山行われていた。
昭和15年9月23日 全国中等学校剣道大会優勝(於 関西学院大学主催)
当時は剣道初段の免許状は朝礼で校長より副賞の木刀とともに授与される。
昭和18年6月、中学4年生で森本一雄(中46期)氏の弐段取得は 当時としては珍しかった。剣道部員は100名もいた。
昭和18年9月 総合大会、剣道大会(大阪府下中等学校報告団主催)で敗退
「日頃之を目指して練習して来たが遂に敗れ、校長先生始 諸先生に申訳なく特に斎藤民雄、竹内二郎両先生には何とお答えしてよいかわからず。
来年の出場戦士に必ずこのうらみはらしてくれと頼むのみ。この日、村木の奮闘目覚ましく、数日して甲種飛行予科練生に行くとも思われず、自己の全力を発揮した」 (主将松本記、剣道部日誌より)
昭和19年は学徒勤労動員として働き、クラブ活動等はできなかったもよう
昭和20年3月、5年生と4年生は繰上げ卒業。
昭和20年11月、GHQより剣道部解散命令 写真③

昭和34年 塩尻(高12期)他数名、剣道同好会としてグランドで活動開始
昭和35年夏に合宿(1週間)する。奥村悦之(高6期)の指導で
昭和36年4月、剣道部開始(高14期10数名)放課後の道場は使えず朝練のみで活動。
昭和46年 8月 和歌山県五條市での合宿 写真④

昭和48年 8月 八尾高での合宿 写真⑤

昭和52年4月 前田良憲先生 着任(~平成5年3月まで)
昭和61年2月 近畿大会(奈良)女子団体出場 写真⑥

平成7年5月 八尾高 新剣道場開き 式典 写真⑦

2014年 8月 長野県白馬 合宿 写真⑧

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剣道部の思い出
寄稿 (高12期 塩尻 宏)
私が八尾高に入学したのは70年近くも前の遠い昔のことです。
戦後全面禁止となっていた日本の武道教育が徐々に解禁され始めたのは1950(昭和25)年代になってからでした。
私たちが入学した1957(昭和32)年当時の八尾高には既に柔道部は活動していましたが、未だ剣道部はありませんでした。中学時代の撓競技部(注1)の経験から剣道に興味を抱いていました私は、同期の同好の士数人(榊原脩蔵氏、清林武平氏、いずれも故人)らと校庭の片隅で素振り稽古をして気を紛らわせていたのを覚えています。時には昼休み時間にバレーボールコート(放課後はバレー部が練習)で摺り足の練習をしていましたが、怪我をしないよう練習前に小石を取り除くのが大変でした。今では滑稽で懐かしい思い出です。
「剣心会」のホームページの資料では、当時の私たちの貧相な練習風景がたまたま通りがかりの大(先輩中46期 森本一雄様、高6期 奥村悦之様など)の目に留まったことから八尾高剣道部の再建にに向けての諸先輩方の並々ならぬご尽力が始まったと記録されています。その意味では、旧制中学時代から全国にその名を轟かせていた伝統は今日の八尾高剣道部「剣心会」に引き継がれていると思われます。
今後ともの発展をお祈りしています。
八尾高卒業後は少し回り道をしましたが、その後海外勤務を主とする仕事を約40年続けて今は隠遁生活です。
15年ほど前に母校の先輩方からのご依頼で大阪での同窓会総会において拙いお話をさせて頂いた経緯がありますが、遠隔地に住んでいますので、「剣心会」については遠くから応援するのみしかお役に立てず心苦しく思っています。
皆様方の一層のご活躍をお祈りしています。
塩尻 宏 (高12期)
(注)
塩尻先輩は大阪外大アラビア語学科卒業後外務省勤務元リビア日本大使という履歴だそうです。15年前に塩川正十郎の勧めで、同窓総会時にアラブのことについての講演会をしたとの事でした。
(注1)撓競技〈しないきょうぎ〉
第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)によって剣道が禁止された際、その技術や精神を存分に残すためスポーツとして考案された「幻の競技」
ルール:選手はフェンシングに似たシャツ、ズボン(女子はスカートも着用可)、運動靴、軽量の防具を装用して、袋竹刀で打ち合いポイント数を競う。
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