 
 制作の原点である様々な要素を理解し、見つめ直し、整理して、形をつくります。
こうして作られた制作物は、見る人の理解を深め、原点である要素にもよい影響をフィードバックし拡散すると信じています。
   
   わたしたちの生活の隅々、どこをとってもそこにはデザインがあります。
   朝読む新聞、着る服、手に取る道具、食器、乗り物、目にする広告物、テレビの映像、聞き流すラジオの音にもデザインが施され、
   日々の生活を豊かなものにしています。そして、その中でも入念にデザインされたものだけが、人々の支持を得、 
   次代に受け継がれていきます。 
   
 
クライアントの言葉をユーザーの言葉に効果的に美しく、正しく通訳する。
デザインは世界共通の「言葉」です。
   「言葉」は何らかの意思を「伝える」ものです。 工業製品や建築物は言うまでもなく、
   文字を含む印刷物やWebサイトですら「実用面などを考慮して作られ、目的をもって具体的に立案・設計」された「美しい」デザインは、
   その文字を母国語としない人にも多くのメッセージを伝えます。 
   
 
「伝える」ことは難しいことです。
送り手の様々な事情・環境を背景とした伝えたい意思、受け手の受ける時点の事情・環境、
   そしてその中間にある両者の事情・環境を的確に把握した上で紡ぎ出される〈「美しい」「言葉」=デザイン〉だけが、
   誤解なく両者を結びつけます。
   
   送り手、受け手、そして中間に在るデザイン、三者がハーモニーを奏でたとき、「伝える」という目的は達せられます。 
   「伝える」ことにデザインは欠かせません。 
   
 
制作の原点である様々な要素を理解し、見つめ直し、
   整理し凝縮しシンプルな形をつくります。 
 こうして作られた制作物は、見る人の理解を深め、原点である要素にもよい影響をフィードバックし拡散すると信じています。
   
   演繹的に企画された意思を、設計・制作・製造・流通・リテイルまで、全ての行程において機能的に「シンプル」に計画・実行することです。
   残念にも、ぼくたちはこの行程の中の企画・設計・制作までしか携わることができません。しかし、ぼくたちが携わり、創るものが適確であればその後の行程にも良い影響を及ぼせると確信しています。 
   
 
「送り手の意思を、無駄な経路無しに直線的に受け手の印象に送り込む」ことが
   ぼくたちのデザインの目的です。
   この目的が果たせたとき、自然に「美しさ」は備わると考えています。
 ぼくたちは、「デザインとは意思を凝縮し美しい体系にまとめあげること」その結果は「シンプル」であると考えています。
   「シンプル」は決して無駄を省くことではありません。クライアントの最初の意思に無駄など決してありません。
   伝えたいことは、最初は混沌としていても全てに意味を持ち、制作の動機となるのですから。
   たったひとつの要素でも、表現の方法は無限にあります。
   無限の中から選択できるのはたったひとつの表現です。
  
   その選択を誰に任せますか?














